hitorigoto

20071

光る人、光る言葉
昨日、ニュースで選抜高校野球の出場校が決定と報道されていた。
その中で大阪桐蔭の4番バッターの中田君のことが報道されていた。
高校一のスラッガーで、今回甲子園で何本ホームランを打つかと報道された。
違う番組では昨年夏甲子園優勝投手の斉藤君が、早稲田大学のブルペンで投球練習を開始したと報道されていた。そしてまた、違う番組では、またまた中田君のニュースが報道されていた。そして何気なく聞いていたコメントの中にキラリと光輝く言葉を見つけた。
昨年両者の戦いがあり、その戦いの中から中田君が斉藤君から学んだこととして、どんなピンチでも自分を見失わないと言うことだった。
私は、その言葉をいただいたと思った。
感謝。
(2007.1.27)


プロフェッショナル 村松健一
昨日テレビをつけると、ニュースでバラバラ殺人事件が多発していることを報道し、その日もその中のひとつで、妻が犯人の事件で逮捕と伝えていた。私はうっとしいのですぐテレビを消すつもりだったが、寝るまでしばらくぼーっとしていると、「企業再生支援」という言葉が耳に入ってきた。私の肉体はその言葉にすごく反応し、くいいるようにそのドキュメントを見た。
それは、弁護士・村松健一さんのドキュメントであった。
最初に、企業の倒産が人の生命につながるので、何としても企業再生の仕事は続けると村松さんの言葉がはいってきた。バラバラ殺人事件とまったく正反対の心の動きが今の日本を象徴していた。私には知識がないので以下のように思っていたのです。
企業再生は、天下の悪法民事再生法を駆使した企業再生。
もしくは、金融機関に債権放棄という借金の踏み倒し。
借金の踏み倒しを認める金融の担当者も、自分のお金ではないので実感はわかない。私は、民事再生法は、責任の所在をはっきりさせない悪法と思っていたし、銀行の債権放棄は銀行員の怠慢で、自分のお金ではないので債権放棄ということがどれほど顧客に不利益をもたらしているのか認識していないと思っていた。また、メガバンクはもとより小さな金融機関でも、国から絶対存続の指名を受けているので保護されているのをいいことに、どんなふうにしても黒字がでるのに赤字を出して税金を払わないで、国家に対して反逆行為を行っていると思っていた。
しかし、村松さんを頼る経営者はわらをもつかむ思い、命がけでお願いに来る。経営者の命と、その家族の生活、従業員とその家族の生活。何が一番大切なのか考えさせられた。経営者の責任よりも命だろう。会社をつぶしてしまえば、ごくわずかな借金も回収不能。損得感情も入る。人の感情よりも、命と損得感情。従業員の生活が大切となってくると、おのずと答えは出てくる。
企業再生。
だけど本当に企業再生できたあかつきには、社会や、迷惑をかけた企業や関係者には恩返しをしないとね・・・。そのことを言うと、私のお世話になっている写真家の方はこう言うだろう。別に恩をうけた方に恩返ししなくても、社会や、別の方に恩返しすればそれでいいと。恩返しは、必ずしも恩をうけた方でなくても別の方に返せば。おおらかで広い心を持たないとね。

*追伸

ただ、このドキュメントを見ていて思ったのだけど、このドラマの主人公村松さんの熱意はとても感じたが、でてきた経営者の方々の熱意は伝わってこなかった。会社の経営危機で意気消沈しているのか、村松さんに頼りきっているのか、テレビの撮影のやり方か。とりあえず助かっても後はどうだかわからない。今の医療と同じである。助けても植物人間ではどうしようもない。ただ、その家族にとっては息をしているだけでもうれしい。ようは見極めが大切。
これまで倒産した会社の経営者の方々を見てきて、私なりに思うことがある。
それは、しなやかでない、生活に無理がある、普通ではないと言うことである。うまくいく経営者はどれほど華やかに言っても、言葉とは裏腹に愚直に生きておられる。問題点をはっきり理解し、その問題点を解決するのに労苦をおしまない。決して問題点から逃げず、問題点と真正面から取り組む。このドラマの主題歌の歌詞みたいに、かっこよくは生きられないと言う言葉どおりに生きている人が成功者である。

私の心の中では少なくともそうなのである。
私も成功者になりたい。
(2007.1.14)


孤独死 常盤平団地
昨晩、孤独死についてのドキュメントを見た。
常盤平団地で起きている孤独死についての自治会の取り組みが放映された。
そのドキュメントを見てアッと思ったが、利にかなっていた。
今まで、普通の死は、老、病、死と言う順番で死が訪れ、その中で身よりのない人や人とおつき合いのない人が孤独死をすると思っていた。ところが、最近のケースでは孤独死の4割までが、40歳から60歳代までの方たちであると言うのである。
高齢社会が訪れていると言うのに、これはどう言うことか・・・。
はっきり言ってびっくりした。ただ、内容を聞いてなるほど利にかなっていると思った。

それは、病気、失職、離婚、一人暮らし、死と言う構造である。今回、紹介されたケースはほとんどが男性の孤独死、もしくは孤独死予備軍。結婚、育児、病気、失職、離婚、一人暮らし、孤独と言う順番。一番の問題は、働き盛りで病気になり失職し、社会復帰ができず収入もなく、社会とのつき合いがないと言うことで孤独になり自暴自棄になる。その間に離婚し家庭がなくなり、あっと言う間に泥沼に入ると言うことである。
それでは、それを解決する糸口はあるのかと言うことであるが・・・。
十人十色ですべてに答えは違うし、いろいろな答えがあると思う。
ドキュメントのインタビューに答えていた人の共通点は、希望がない、だるいと言う、何もする気がしないと言う点だった。そのとおりだと思う。私も発病したとき無力感でいっぱいだった。何もしなかった。点字の本を父に投げつけた。母になぜ私を生んだのか責めたてた。バカだった。
それなら、どうすればいいのか・・・。
私は、仕事だと思う。

やらなければならないことが、毎日ある人である。
家庭内のことは一番大切であるが、それに振り回されていると何も見えなくなるし、井の中の蛙になってしまう。神戸大震災のときに一番立ち直りが早かったのは、仕事を持っている人であった。ただ、インタビューを聞いていると病気の後遺症や、高年齢で仕事がないと言うことである。困った。
ただ、今この話題、この文章を書いていて思うのだが、一つ一つの言葉が暗く、後ろ向き、したがって、文章も後ろ向き。はじめから、ダメなことばかりつらつらと書いている。正面から取り組まなければならない社会問題ではあるが、少し視点を変えて取り組んでほしい。
私はこう考えたい。
すべての人に平等に死はいつか訪れるのであるから、何もする気がなくてもどんなことでもいいから、人生楽しんでほしい。しゃべるのがいやでも見える人なら鏡を見て自分のおもしろい顔とにらめっこするとか、目の見えない人ならラジオで漫才や落語を聞くとか。動けない人なら何をしようか、私にはわからないが何か楽しみ方があるはずである。何を始めるにも笑いからである。神はすべての人に何かしら恵んでくれている。それにはやく気づきたいし、気づいてほしい。
数年前だったと思うのですが、吉永小百合さんが出演されている映画のあるシーンで「生きている限り、夢を見る力がある限り、何かが私たちを助けてくれる。」と言うセリフがあったそうですが、私は、そう信じたい、そう信じる。
それにしても不思議なことに、今回のドキュメントに女性のケースは取り上げられていなかった。女性はたくましく、男性はもろいと言うことか・・・。
最後に、ドキュメントに出られていた男性が、脳梗塞の後遺症をおして再度自動車教習所に出向き、以前やっていた運送の仕事に挑戦しようとしているシーンを見てうれしかった。そして、震える手で同じ団地の相談にのってくださっていた方へお礼の手紙を書かれていたのでほっとした。
人間社会はやはり人間関係が一番大切なのでは・・・。
(2007.1.14)


今日もいいことがあるよ
今朝、母と朝食をとっていると、正月1日から5日までの天神さんの話になった。
「今年は、天神さんにぎわっているね」
「そう、ちょっと様子が変わってきたみたい」

「うちもうどんよく売れた。だけど今日からまた雨で少なくなるよ。初詣も終わりだし・・・」
そこで母が少し間をおいて、こう切り出した。
2日前だったか、近くに住んでいると思うんだけど、老夫婦がうどんを食べてくれた。ご主人は杖を突いていたんだけど、お金をいただくときにみっちゃんが作った御縁玉をあげた。そうしたら大変喜んで奥さんのももうひとつほしいと言うのであげた。そして、私にこう言うの。その方、朝起きたら家族全員に今日もいいことあるよって。そうすると本当にいいことがあるんだって。今日も御縁玉いただけたって喜んだ。だから、みっちゃんもそうしたら・・・」
「うん、わかった」

*
追伸
御縁玉は、小さな名刺に2箇所スリットを入れ、五円玉をスリットの間にはさみこみ固定しすべらん御縁玉で、うどんを食べてくださった方に縁起物として正月にさし上げている。すべらんうどんにすべらん御縁玉。この洒落わかっていただけるかなあ? 名刺には、すべらんうどん御縁玉としか書いてないから、「すべらん御縁玉」って気がついてくださるかなあ。袋から出して振ってみないと、すべり落ちないことわからないから。私もバカだから御縁玉は商標登録したし、台紙は、すべらんうどんと同じように意匠登録までした。うどんは世の中に広まってくれるだけでうれしいのに、ここまでやる自分自身がようわからん。
(2007.1.6)


祖父の言葉
懐かしいメロディーを聞いた翌日、発病当時、いや発病して56年過ぎたころの祖父の言葉を思い出した。もう20年以上前だと思う。私が阪大病院に入院したとき、祖父は毎日のように見舞いに来てくれた。来ていつも新聞を読んでもらった。私としては、祖父に見舞いに来てもらうのが少しさびしく感じた。反対だろうと・・・。
ある日、祖父は新聞を読みながら、「道信、目が不自由なんだから何かできる仕事探したらどうや・・・、生きる道を・・・」
その当時、私は祖父の創業した会社に転がりこんで何とか生活していた。もう祖父は引退し、叔父が社長で、祖父は私の行く末を心配してくれたのであろう。私も、このままではダメだと思っていたがどうしようもなかった。

「おじいちゃん、ほんなら何したらええ・・・」
「わしもわからん」
沈黙が過ぎった。祖父と私二人だけの会話だった。
発病して難病とわかってまず考えたことは、どうしてお金稼ごう、それでなくても頭がわるい、どんくさい、右半身は少し小児マヒ。お先真っ暗。見えるようになってやるという意気ごみとお先真っ暗と言う相反する心がかき乱した。障害者として生きるのはいやだった。とにかく時間稼ぎしたかった。嵐の過ぎるのを待った。そんな心を知ってか、祖父が私に謎をかけたのであろう。
おじいちゃん、どうしたらええ・・・。
返事が返ってこなかった。
答えがほしかった。
その時何度も何度もどうしたらええ、どうしたらええと聞いた。
算数ではないので答えがなかった。
その後十数年、祖父がなくなるまでその会話は一度もしなかった。
祖父は、本当のところ私に何が言いたかったのだろう。今もわからない・・・。
いまだに同じ会社で世話になっているが、できれば食品とはまったく違う仕事がしたい。いや、必ずする。また、最近始めたすべらんうどん屋は、ライフワークで仕事にはしない。

現在勤めさせてもらっている会社の社長は、代が変わってもう一人の叔父が社長になっているが、いつになればその叔父たちや祖父から独立できるのだろう・・・。また、両親から独立できるのであろう・・・。自分自身の天職を模索する日々が続く。このままではおわるまいぞ。ハンディーなどまったく関係なく、健常者と対で勝負できる仕事を探す。ぜったい対で仕事する。
その意識があるので、48歳を過ぎいまだにしゃきっとしない自分がいやになる。自分に自信が持てないのがいやである。一方で大器晩成と言い聞かせる自分が好きである。
はっきりしていることは、時がすべてを解決する、時は神様である。今を大切にすることで、今全力で生きることで、今必要なことをやることで、自分が答えをださなくても時がだしてくれるだろう。それが自分の答えだろう。時が自分の意思を自然な形で表現してくれるだろう。それまでじっくり待てばいい。今さらあわてることは何もない。やっぱり大器晩成ねらいで行こう。
48
歳青春真っ只中。
それにしても人より20年は成長が遅れているな、いや30年か・・・。
(2007.1.6)


流行歌
1
2日、仕事を終え、午後2時ごろ会社から天満宮のすべらんうどん屋へ行き、いつもお世話になる電気屋さんと話をしていると、みっちゃんと大きな声で数人入ってきた。私がきょとんとしていると「俺や俺や」と。こんな時、目が不自由だと困る。数秒声を聞かないと誰だったか判断に苦しむ。そして、韓国語を一言。
あっ・・・やっさんや。
北港ヨットクラブの友達が初詣に立ち寄ってくれた。
酒と言われたが酒はおいてないので、甘酒とうどんを注文してもらった。

その後、彼らにさそわれ、鍋をつつきに行った。私は、どうも誘惑に弱いみたいである。その後カラオケボックスへ行き発散。皆年齢が近いので歌が同世代。私は、久しぶりに「あなた」をリクエストした。やっさんの奥さんが14歳のときに流行った歌やと言った。そう、私も希望に燃えていた。その時は目もよく見えていた。もちろん、成績は悪かったが悪くても別段気にしなかった。不謹慎ではあるが「あなた」が大ヒットし、それで作詞作曲した大学生の彼女の懐に数億円入ってきたと週刊誌やテレビで報道していたので、なんとなくうらやましく思ったことを思い出した。ただ、今歌うともう一度青春とエネルギーがわきでてきた。
帰宅後、テレビをつけると今度は「ルビーの指輪」がながれていた。この歌が大ヒットしていたとき、私はちょうど発病したころで入院していた。その時必ず見えるようになると信じ、この歌を口ずさんでいたことが懐かしい。
歌は、その時々のことを思い出させてくれるが、私の人生は人様よりは現時点ではいろいろあり、低空飛行なので上昇気流に乗り自由自在に演じきりたいと思っている。そんな気持ちを今日の歌はグーと引き出してくれる。うれしい一日であった。
友達に感謝。
(2007.1.6)


白杖
昨日、酒を飲みに行って、白杖を折ってしまった。
消耗品であるので仕方がないと思うのだが、その後が悪い。
普通は予備を12本持っているのだが今回に限り予備を持っていない。
おまけに正月前で販売している所も一週間は休み。本当に間抜けである。
ひとつよかったことは、白杖がありがたい存在であることをあらためて知ったと言うことである。白杖をつくのがいやで15年間もつことを拒んできた私だが、その存在のありがたさがわかる。かけがえのないものは自分自身のそばにいつもあるものであり、なにげない存在なのだ。身近なところに大切なものがあり、身近なところに幸せがある。
その幸せに気づくことがなかなか・・・。
(2007.1.6)