hitorigoto

20074

海遊館
去年の11月末から、ご縁があって海遊館のマーケットプレイスでジャパンシーフーズと言う会社が、すべらんうどんを販売してくださっている。
そして最近になって、海遊館で食べた、見た、見かけたと言うお客さんがちらほら見える。海遊館でもテレビで見たと言うお客さんが多いらしい。少しずつではあるが世に広まっていることを肌で感じる今日この頃である。
本当にすべらんうどんが世に浸透するまでつぶれず、浸透してからも皆さんに愛される商品に育ってほしいと祈る毎日である。
(2007.4.29)


大物
4
月に入って天神さんでは大きな行事がなくなり、うどんの売上は低空飛行である。
何とかしたいがお宮さんの境内である。何ともならない。困ったものだと思うが何をどうすればいいかわからない。また何をするにも規範があり無理である。当たり前のことである。ただ、言い訳はしたくない。
その中、母に日経新聞の連載「私の履歴書」を久しぶりに読んでもらった。
今回はセブンアイホールディングスの鈴木会長。ビッグである。「私の履歴書」を読んでもらって思うことは、大物は生まれながらにして大物。それは、努力ではどうにもならない。思考回路がまったく違う。成功しようが成功しまいが大物は大物。そして、「私の履歴書」に投稿されている方は、日本を代表する大物で成功者でおもしろい方。三拍子そろっているのである。
ただ、いつも思うのであるが、なぜこんなに同じ人間なのに境遇の差がでるのだろうか。他の動物ではこんなに差が出ない。
そして、はたと気づいた。
神様の目から見れば、セブンアイホールディングスの会長の鈴木氏も、私も何も変わらないのである。と言うのは、人間の物差しで人間社会を見るから差があるのであり、神様の目で見れば二人とも同じ人間であり、生かされている間の人間社会での貢献度は違うが、間違いなく二人とも100年後にはこの世に存在しない。そして鈴木会長のような偉い方でも、私のようなちっぽけな人間でも、地球規模で言えば同じような人間は、いくらでも存在する。鈴木会長には大変失礼な書き方であるが、どんな大物でも神様の前では同じである。ただ、人間それぞれ自分が納得できる人生をおくれれば最高である。
自分の思うようにいかない日々が続き、少しイライラしていたところに、大物鈴木さんの文章を読んでなんとなくほっとした。鈴木さんの自由自在に生きる姿はすばらしい。
言い訳はしない。
ちっぽけな私ではあるが、自分なりのゴール目指し、私なりに納得いく人生をおくろう。
ありがとう。感謝。
(2007.4.29)


喜びの原点
私は「岡 道信のひとりごと」で皆さんの反応関係なく言いたい放題書きたい放題であるが、テーマは、喜びと幸せである。たえず喜びって何? 幸せって何? と思う。
ところが言葉にならないのである。
言葉になればその中に少しは嘘が入る。表現力が不足しているのかも知れないが・・・。

ところが、この前あるひとが喜びを一言でさらっと言いのけた。
喜びとは、できないことができるようになった時に人間が表現する感情。その時に喜びが最高に達する。
そのとおりだと思った。なんだそんなことか・・・。
しかし、数日たって思った。
それだけではない。それは、喜びのうちのひとつに過ぎない。喜びは、もっと単純でもっと複雑である。いや、さかさま、複雑で単純である。

喜びは空の星のように無限にあるが、星が空気の澄みわたったところでしか見えないように、真の喜びは、心が澄みわたったときにしか感じられないと信じたい。心が澄みわたっていれば、無限に喜びと幸せを感じると信じます。喜びが何か、幸せが何かではなく、自分自身の心のありようが澄みわたっていれば、無限に存在する喜びと幸せを映し出してくれます。自分の心のありようが無限の喜びと幸せを映し出してくれるプラネタリュウムでありスクリーンです。
ありがとう。感謝。
(2007.4.1)


受験戦争
先日、すべらんうどん屋に、おじいちゃんと一緒に学生さんがうどんを食べに来てくれた。
来年受験だと言う。
先月受験シーズンが終わったばかりなのに、もう受験生が訪れてくれる。
受験の祈願と言うのは年がら年中あるものだと初めて知った。
恐るべし受験戦争、受験人口。
(2007.4.1)