hitorigoto

20077

パワー
最近、一人前に年だけはとり責任世代になってきて、付き合いの少ない私でさえ冠婚葬祭が少し増えました。そんな中、お寺さんのお通夜に行った際、少し遅れたのでお通夜が始まっていました。そして、私はそのお通夜に感動しました。というのは、読経の美しさ。私は友達に「いい声や。今日はお寺さんのお通夜やから56人で読経してるんか、響く」と言った。「いや12人か13人」「・・・えっ」驚いた。
一糸乱れぬ声が小さなお寺に鳴り響いた。わずか
30分ほどの通夜だった。あっさりした式の中で、死は人生の通過点にしか過ぎない気がした。
ただ最近、神事や冠婚葬祭に出席して、本当の意味で天からパワーを授かっている人のお言葉を聞いたり、読経を聞いたりしていると、この世のものとは思えぬパワーや不思議を感じます。そのようなパワーは、その人なりに悔いなくその日その日を大切に送っている人に授かるような気がします。天からパワーを授けていただけるよう心がけを大切にしましょう。

ありがとう。感謝。

*追伸
亡くなった方は私の友達のお母さんで、その日初めてそのお寺に行った。
私の友達のその彼女は、私をお棺まで連れて行き、みっチャン、私が母の化粧したんやで、きれいやろ。見てやってと彼女のお母さんのすぐ前まで連れて行った。私は心の中でつぶやいた。初めてお目にかかります。そしてこれが最後です。さようなら。頭を下げた。彼女は私の父の葬儀のときも最後にお花をお棺に入れてあげる時、私の手を引っ張って連れて行き、父の顔を触らせてくれた。人の目をはばかることなく自由奔放に生きている。彼女のご主人は大物でいつもいろいろな場面で私の力になってくれ、夫婦で私を手助けしてくださる。今、天神さんでうどん屋をさせていただけるのも、彼のうしろだてがあったからにほかならない。
ありがたい。感謝。
(2007.7.22)


7月
7
月に入り、はっきりしない天気の中、うどんも売れない日が多く、少しあきらめ顔である。
そうした中、天神さんは祭りの準備であわただしい。
新潟では大きな地震が起き、被災者の方には気の毒でしかたがない。
人間が一番辛いのは、生きていくうえで将来に対する不安と、恐怖と肉体の痛みと貧困。また、人間関係。どの問題も1番と言うことなく、どれもが解決していないととても辛い。また、おもしろくない。また、個人差があり、人口と同じ数だけ人の辛さはある。
最近の私にあてはめればこうである。
ここ10数年の私の環境の変化や境遇の変化、おつき合いさせていただける方の変化、いろいろな変化は他の人からすればたいしたことではないかもしれないが、私にとってはめまぐるしい。不安を感じることもある。私はその不安を期待や希望と言う言葉に置き換えているが。特に障害者手帳をいただいてからはびっくりである。それがいいとか悪いとかではない。ただなぜそのように変化していくのかはなんとなくわかる。障害者であることを認めるのがいやで、障害者手帳を申請しなかった私だが、障害者手帳をいただいてから、それまでぼんやりしていた目的や目標が、障害者手帳をいただき、ある程度社会福祉の恩恵をいただくようになって、具体的な目的、目標が明確になった。
それまで優先順位が、見えるようになってやる、なんとか人並みの生活をしてやると言う自分の欲求を満たすことが目的と言う内向的で、それを満たすための方法がわからず、悶々とした生活をおくり、その欲求の先にあるものがわからず、いらいらしていた自分から「人に役立つ物作り、人に役立つ人生」を目標にと言う極めて単純で明確な目標が、私の目標になった。何や坊さんくさい、年寄りくさいおもしろない人格、考えに遊びがなくおもろないやつと言われるかも知れないが、障害者に対する日本国の社会福祉制度がしっかりしたものがあると認識したのである。
ただ、まだまだ日本の社会福祉制度に不満のある人はたくさんいるだろうが、外に目を向けると、どれほど貧しく、国家の内戦で治安が安定しない国が多いことか。また独裁者の下で苦しい生活をおくっておられる方が多いことか。そんなことを考えれば日本はありがたい。嘘をつかなければ社会福祉制度が機能し、なんとか生きていける。後は、本人の努力しだい。他の国ではそう言うわけに行かないことが極めて多い。
また、人間は特別なものと思っているだろうが、地球上に存在する唯一の高度な知能を持った動物で、弱者を助け、お互い協力する強固な仲間意識を持った動物であるから、障害者でも生きていける。それを当たり前に思うことこそナンセンス。他の動植物の社会では強いものだけが生き残る。環境の変化に対応できるものだけが生き残る。この地球上で人間だけが特別な存在であると認識するところに間違いがしょうずるのである。私の考えは、障害を持った時点で人生負けであると思う。ただ、人間社会がありがたい存在で、負けたものでも敗者復活戦を設けてくれているので、やり直すことができると認識している。犯罪者もそうである。他の動物の中で、秩序を乱すものは死以外ないのである。刑務所に入って反省しなさいと言うあまい考えはない。秩序を乱すものは、死以外ない。人間社会以外では、生と死以外の選択は考えられない。
また、戦争は、人間が理性を失い、他の動物と同じように本能だけで行動を起こすから起きるのである。戦争する時に、戦争を決断する人は冷静に判断しているつもりだろうが、群集心理に過ぎない気がする。大義名分、正義のためとか言っているが、自分が生き残るためだけのものである。それが証拠に、大量殺戮がその時その場所だけは犯罪にならない。すなわち戦争に負け、裁判にかけられたものが犯罪者。勝ったものは大量殺戮でも犯罪者にならない。それどころか英雄である。そんな中で、日本と言う国は裏の社会もあるかもしれないが、平和であたたかくやさしい国である。
そんな国に生まれ育ち生活させていただいているのであるから、自分が受けた恩だけは社会に返して当然である。私は障害者手帳をいただきその後しばらく思い悩んだが、いろいろな障害者の方と知り合いボランティアの方と交わり、知らず知らずのうちにそう思うようになったのである。
37歳の秋に手帳をもらい、考えがまとまったのはその3年後ぐらいだった。
あれから
10年過ぎた。
障害者手帳をもらうことが腹立たしく感じたが、社会福祉のありがたさを感じ、考えが大きく変化した。目的や目標に対する不安や恐怖を、期待や希望と言う言葉に置き換え、健康や肉体に対する不安や貧困と人間関係に対する不安はすべて天に預け、頭を空っぽにして突き進む。変化を楽しみ、辛いことやいやなことは忘れる。いや、忙しければ忘れる前に過ぎ去ってしまう。
そんな日々をおくり、この
7月も終わろうとしている。
ありがとう。感謝。
(2007.7.22)