hitorigoto

20086

梅ジュース
6月に入り、天神さんでは、職員さんが梅の実を梅ノ木から収穫。
そして、神事に利用できない途中で落ちたものや小さいもの、かけたものなどをいただき、叔母とイトコと母で梅ジュースにしてみんなに配って試飲していただいた。
評判は抜群。新たな天神さんの名物に。一杯150円の格安で販売することに決まった。境内の梅の実が梅ジュースに化けた。少量なのであっという間になくなってしまうと思うが、星合茶屋で初めて天神さんの梅にちなんだ商品。うれしい。
天神さん梅ノ木に感謝。
(2008.6.17)


寄生虫
また岩手と宮城で大きな地震が起きた。死者や怪我人が多数出た。大変。
地球を乱開発し汚染するがゆえに地球が怒った。
人類は地球の寄生虫に過ぎないのに自分たちが主役のように行動する。
自分を荒らされた地球は怒っている。
もちろん地球は人類の行動に関係なく環境を自ら変える場合もあるが、今の地球の環境の変化は人類の横暴の比重大である。したがって今さら人類が環境破壊をストップしたところで、地球の怒りにブレーキをかけることなどできるはずはない。もう手遅れである。
それならどうすればそれを緩められるのか。
できるだけ人類の繁栄を食い止める以外、被害が大きくなるばかり。人類の繁栄を食い止めるためにはどうすればいいのか・・・。世界各国はできるだけ競争社会を緩め、消費生活を緩め、自然との共存共栄に努めるべきである。そうすれば人類繁栄の拡大を抑えられるのではなかろうか。そして地球の人口がおのずと適切な人口になるのではなかろうか。
日本のように資源が少ないからと言って他国と貿易を深め、便利で楽な消費生活を促進すればするほど人類滅亡の日は早まる。だが実際には豊かで便利で楽で楽しい平和な暮らしがしたい。
しかし人類は、地球の寄生虫であるので、人類が地球に暮らせる人数制限があるはずである。人類だけが特別なものでありえない。これより人口爆発が進めば、新たな地球を宇宙の空間に作るより他に助かる可能性はないのではなかろうか。
夢のような話であるが、宇宙開発〔宇宙空間に居住空間を作ること〕が人類滅亡の回避をする一番身近な手段と私は考える。だが地球以外の宇宙空間に人類が生活するころには私はこの世にいないだろう。
人類滅亡までに宇宙空間の開発が間に合ってほしい。
また、人類の欲望がほどほどのところでとどまってほしい。

(2008.6.15)


方向転換
「穏やか」を書いた後、穏やかの言葉どうり少し気分が楽になったせいか、すべらんうどん・うどん双樹の初期の目的を思い出した。
何のためにこのうどんを販売しているのか。
決して経済活動、商売するためにやっているのではない。私には現在も本業がある。すべらんうどんを販売するためにうどん双樹株式会社とはしたものの、それは法律に基づいてやっているだけで会社ではない。あくまでこのうどんを世に広めるのがねらい。そして、人のお役に立つ。私の大変お世話になっている先生のおかげで初心を思い出すことができた。またうどん双樹と命名したほんとうの意味を思い出した。
「おごれるもの久しからず」
そして、今「目は見えるようになりたい」。
だが目が見えたいためだけに神様にお祈りするのでもなく、目が見えたいから無欲になるのでもなく、目が見えたいから人のお役に立ちたいのでもないが、先生の御本でモチベーションを高く持つことができた。今後代償に関わらず、すべての商談に無欲で取り組める。また、うどん以外のおもしろいアイデアもわくような気がしてきた。よかった。
ちょっとしたきっかけですべてのものが解決していく。
偉大なる神の力、神の存在。感謝。
そして私の視力回復は、私の意志や意識とは無関係で、私の知らない世界で私の清らかなる魂にスイッチが入ったときに、神様にもたれて生かさせていただく生活が始まり、神様のお力により私が大変お世話になっている先生の予言どうり奇跡が起き見えるだろう。そのときが来るのを楽しみに待ちたい。
無心 無欲 無我夢中。
(2008.6.14)


穏やか
天神さんで、常設でうどん屋をやらせていただくようになって3年を過ぎ、不定期にやらせてもらうようになって4年も過ぎた。その間幾度ももうだめだもうだめだと思った。だが不思議と自分からやめようとは思わない。
そして先日、大変お世話になっている先生の御本をいただいた。その中に私のことが書かれていた。仮名で書いてあったが誰が読んでも私のことであるとわかるエピソード。その中に私のことで自分自身が気がつかなかった大切にしなければならない心の動きが予言されてあった。
そのエピソードはこうである。
5
年前私は誰にでも食べやすいうどんを作ったが、うどんを販売するところがなく困っていた。趣味の域を超えなかったので売れなくてもそれほどあせりはなかったが、マスコミさんが取り上げてくださり問い合わせがあるたび、販売しているところがなく困っていた。そこで天神さん付近の空き店舗を探そうかとも思ったが、高い家賃を払って素人がやって成功するほど世の中あまくないことを知っていたので、その先生に相談した。
答えはこうだった。

それなら天神さんでやらせてもらったら・・・。
その数日後天神さんからお声がかかった。出店していただけませんかと・・・。正直びっくりした。
それからその先生にお会いするたび、目の相談以外にもいろいろな報告と相談をした。いつも、未だにまだまだ赤字で大変ですわと同じ答えを返している。
そしてその先生にお会いし御本をいただき、母に読んでもらってまたびっくり。
天神さんでの赤字が神様へのお供えと気がついたら、私の目は見えるようになると予言されてあった。それからと言ううもの私の魂がそのことに気がついてくれることを祈る毎日である。

不思議は神。
ありがとう。感謝。
(2008.6.14)


逃避
先日、通り魔による残忍な無差別殺人があった。
連日マスコミがそのことを報道した。死者7人負傷者10人の悲劇である。
言葉がでない。当然通り魔が悪い。悪いに決まっている。
世間は恐怖で、たくさんの人が集まる施設では対処策に大わらわである。
ほんとうに何が起こるかわからない時代になってしまった。善悪の区別がつかない。尊いものがわからない。いとしいものがわからない。大切なものがわからない。自分を見失い、迷走する人たち。時代が起こす恐怖。すべてが満たされているのに心が満たされていない。他人との「ふれあい」のない生活で、自分の心だけとふれあい、選択肢が抹殺のひとつだけになる。自分や他人と真正面から向き合いたくなくなる。そして自分も他人もこの世から消したくなる。ふれあいの大切さを知り、自分の存在も認め、他人の存在も認め、ふれあう喜びを感じてほしい。
人と人とのふれあいの喜びが人生の原点に思える。
別に言葉はいらない。無言でもその存在。
この世からもし自分を消したり他人を消したりしたくなったら、おいしいものを食べ、好きな服を着、誰かに心を開き、自分の苦しいことを聞いてもらえばいい。人にわかってもらえなくても聞いてもらうだけでいい。心を開き聞いてもらうのがいやなら、もしくは聞いてもらえる人がいないなら、人に迷惑のかからないところへ行って声がかれ疲れて眠くなるまでバカヤローと大声で怒鳴るとすっきりするかもしれない。とにかく自分の感情と肉体をコントロールできないその危機的な時間を通り過ぎてほしい。過ぎれば、また元どおり普通、もしくは普通に近い生活ができる。
時は神様だ。
時がすべての問題を解決する。時に護られて生かさせていただく。そして時が自分の意思とは関係なく、今すぐ、他人や自らを抹殺せずとも自然にあの世に連れて行ってくださる。時がすべての支配者。それまで、人生ゲームいきつもどりつ、元気に生かさせていただきましょう。

ありがとう。感謝。
(2008.6.10)


国家の役割
福祉や天災テロや暴動犯罪や食糧危機、ワーキングプアーやセイフティーネットなどと言う言葉や問題を聞くと「国家の役割」と言う素朴な疑問を感じる。中学生か高校生のとき、夜警国家と言う言葉を聞いたことがあるような気がする。その時には何も思わなかった。
だが最近、国家の役目役割と言う素朴な疑問を感じたとき、夜警国家と言う言葉が頭の中をよぎる。
どこまで国家組織が国民に関与し保護する必要があるのか・・・。
国家の役目役割は単純に国民を護ることにあるのである。
ところが奥が深い。私は単純にこう思っている。

国家の役割は、治安と生活と子孫繁栄。
その目的を達成するために国家と言う組織が存在する。そしてその組織のありかたとして、民主主義、社会主義などいろいろなやり方で国家の組織を形成して国家の役割を果たそうとしているのである。どのやり方が一番いいかはわからないが、治安と生活と子孫繁栄のバランスが崩れたときに、暴動が起こり天災が起き、社会変革が起きる。今まさに世界規模でそのバランスが崩れ、国家と言う概念を超越した組織が芽生え、人類の歴史が変わろうとしているのではなかろうか。

ユーロと言う組織や貨幣制度はまさにその先駈け。
今地球規模で起きる自然破壊や天災やテロや犯罪。自国だけでは解決できない問題が山積している。世界統一国家が存在しない限り解決しない。みんなが守らなければならない世界統一の法がなければ裁けない。現在の国際法では無理である。足並みがそろわないとどうにもならない。
そのためには国家と言う組織が邪魔になる。
インフルエンザにしても鳥インフルエンザで世界規模で広がる。鳥には国籍はないしパスポートもいらない。国家と言う組織がなくなる次代はここ数世紀以内に起きるだろう。その時日本と言う国はどんな位置にあるのだろうか。日本語が方言になる日は近い。その時標準語は英語なのか中国語なのかロシア語なのかそのほかの言葉になっているのだろうか・・・。世界平和を望むなら世界が統一され世界共通の法が必要ではなかろうか。地球国日本州ができるだろうか・・・。だが他国や多文化他民族他宗教を認めたり受け入れたりできるほど人類は寛容だろうか・・・。
平和的に国家どうしが合併することなど無理な話だ。
とりあえず世界を統一する独裁者が出るか、地球と交流もしくは侵略しようとする宇宙人の存在が確認されないと、地球国と言う組織は生まれないだろう。そして、世界平和は世界が統一されないと生まれない。それでないと、治安を乱すものを平等に裁ける法がない。

ただ現実の生活の中で幸せに暮らすためには、何事が起きても、たえず変化する世の中に対応できるしなやかな心を持つことが必要だろう。
(2008.6.8)


白杖とタクシー
淡路島・洲本のすし屋にて、叔父、Fさん、盲人のN君と私の4人で一杯やった。
数年ぶりに6時間かけて北港ヨットハーバーからヨットでクルージングに連れて来てもらった。
一泊二日。温泉のあとのビールは最高。
話題が白杖になったところで大激論。
私の叔父は、お前は白杖をあまり振らないと言う。それに対しN君はしっかり振って歩きがスムーズだと言う。もっともっと振り回し、危険物を察知しろと言う。お前は格好ばかりつけていると言う。
私は確かに白杖をあまり振り回さない。また、一人でどこへでも行かない。市内ならできるだけタクシーを利用する。ただ出歩くのは好きであるので他府県以外タクシーで移動する。そのことを叔父はつく。またむやみやたらに杖を振り回し、人や物に傷つけてはダメなのでほどほどにしている。また手引きしてもらうときは、あまり杖を振らない。そのことを叔父は言う。
だがそれには、ちゃんとしたポリシーがあってしている。
N君は幼いころから視覚障害で、視覚障害者としての教育を受け、それはすばらしい。私と言えば中途失明で、失明したときに歩行訓練を週一回2ヶ月ほど定休日にしただけである。要は10回ほど習っただけ。中途失明した人が訓練する施設でちゃんと訓練を受けていない。働かなければならなかった。そんなことで白杖を使うのはほとんどなかった。
それでも最初は結構一人で歩こうとしたが、たえず危険にさらされるので、これは命が危ないと、あるとき気がついた。一人で歩き回って怪我でもしたら余計にみんなに迷惑をかける。おまけに痛い目にあう。だがいろいろなところへ一人で行きたい。それならあっさりタクシーを利用して安全を買おう。

それからは市内の移動はタクシー一本やり。他府県は電車飛行機タクシーと建物内以外のところは一人歩行はやめた。ようはタクシー代を払えるよう仕事をしようと決めた。
それからは目的地に行くまでに疲れることもなく、人のおつきあいも普通にでき、行動範囲は一気に広がり、初めて行く所でも余分な心配をしなくて済むようになった。別に生きている間、不自由を感じないで暮らせるならば、どんな手段をとってもいいと思うようになった。
白杖を自由自在に使えることは大切だが、それ以上に周りの人に心配や迷惑をかけないことに努めることが、私のポリシーと決めた。もっとも白杖は基本であるので多少使える努力はしないとダメだとは常々思っている。
ただ、そのすし屋さんでみんなに言ったことは、危険は歩くことだけに潜んでいるのではなく、一般社会にはいろいろな誘惑や犯罪など、白杖を自由自在に操ってもどうにもならないことが潜んでいる。そのことを含めた基本的な生活態度の心がけが、一番大切なように思えると言って話を終えた。

私のようなドンくさい人間はただひたすらまじめに生きる以外、並の生活をするのが難しい。そのことを最近になってわかった。今頃になってわかるとは情けないことだ。ただ遅くてもわかっただけでもありがたい。
感謝。

(2008.6.5)


生きてりゃいいさ
横浜でアフリカ開発会議があった。アフリカの貧困問題がテーマ。
どちらをむいても内外ともに貧困問題などの弱者問題がテーマ。
今さらなぜそんなに問題になるのか。
人類の文化文明が急成長しているところにあるのではないのだろうか。そして格差社会が広がっているせいであろう。病も貧困もいつの時代も存在する。だが格差が広がりすぎると暴動になる。権力者がやりすぎると暴動になる。世界中でその状態がいろいろな問題の中で起きている。格差が広がり民衆がその矛盾に敏感に反応し始めている。また知識人が、その矛盾の大きさに活発な議論を行い民衆に訴えている。
そこで、何が大切かと言うことである。
貧困をなくすことか、感染症やエイズなどの病をなくすことか。
私はそうは思わない。確かに貧困や病気がなくなることはすばらしい。それが一番。だが、いたちごっこ。なくなればまた発生する。ポイントは、ますます広がる格差を少なくすることである。

生命には生と死が存在する。ありとあらゆるものは創造と破壊を繰り返す。必ず死に必ず滅亡する。うまく行けば再び世代を超えて子孫が残り、繁栄と滅亡が繰り返される。その原理からすれば老病死は普通のことであるが、そのあり方が普通から逸脱したときに、人は皆現実を受け入れられず悲しみに陥る。また、なくなった方が、その存在があまりに大きいときに悲しみに陥る。
話はそれたが、貧困問題はアフリカだけで起きている問題ではない。世界中どこでも起きている。ただ目立つ貧困の規模が大きく、格差の広がりが大きいのであろう。

私は幸い貧困のどん底に陥ったことはないが、それなりにつらい思いはしたことはある。だれでもそうであろう。長く生きてりゃあ、それなりに悲しいことやつらいことにあうものである。あわなけりゃあ、それがつらいこと。ひょっとしたら世界の人口が自然に減ることが世界平和につながるのではないだろうか。また、貧困を解決する一番の近道ではないだろうか。
悲しいことだが、繁栄が滅亡をもたらす。
幸せと喜びは、必ずしも繁栄や富の上に成り立つものではなく、人それぞれの心の中に存在し、人それぞれの心のありようが幸せと喜びをもたらす。そのことをわかってほしい。今の何でも手に入る平和な日本で、貧困のどん底のことを話しても実際わからない人が多い。私も頭の中でだけ理解しているだけでその苦しみまでわからない。それより今山積する社会問題が多い日本でも、世界の国々から比べれば幸せだと言うことを自覚していただくことが大切なような気がする。

今の日本にはアメリカンドリームだけでなく、ジャパンドリームがつかめる機会均等が存在し、望めばかなう打ち出の小槌が存在する。努力が源。それが証拠に一番閉鎖的な日本の国技の大相撲で最近外国人が多く、その中でジャパンドリームを実現している。東西の横綱が日本人ではない。今場所の優勝者も日本人ではない。今の日本人の中にハングリーと言う言葉が死語になりつつある。苦しんで苦しんで成功を勝ち取る。あまりにもマスコミからの情報が多すぎて、成功の影に苦労があることを知らない人が多すぎる。誰もが野球のイチロー選手や松井選手のようにはなれない。それでも私は今に感謝し、生きてりゃいいさの精神で鈍行電車でゆっくり人生を歩みたい。
ありがとう。感謝。
(2008.6.3)