hitorigoto

20088

豪雨
真夏の暑さが少しやわらぎ、朝晩が少し過ごしやすくなって来た。
ところが、日本のあちこちで豪雨。これはどうなっているんだろう。理屈ではどうして豪雨になるかわかっているのであろうが、ほんとうに不思議である。と言うよりこれが本来の姿なのか・・・。
都市は自然災害にとても弱い。自然は偉大であり爆発的なエネルギーを生み出す。未知なる時代が予想を超えた形で大きな変化をもたらそうとしている。文化や文明だけが変化するのではなく、母なる地球が生まれ変わろうとしている。
100億光年を超えた星の存在を見ることができるハワイの世界最大の宇宙望遠鏡でも見えない母なる地球の奥底に潜むエネルギーは、これから何を起こそうとしているのだろうか・・・。
自然の偉大さ、宇宙の神秘を感じる今日この頃である。
ありがとうございます。感謝。
(2008.8.29)


銅メダル
北京オリンピックも半ばを過ぎ、メダルを取った選手たちがインタビューを受ける様子を見て考えさせられる。
特に銅メダルを取った選手は、喜ぶ選手と悔しがる選手いろいろである。他の国の選手で審判に不服で銅メダルを返して帰った選手までいる。これをどう判断するかは一概に言えないが、銅メダルの存在は人間性を判断するのに非常にいいメダルである。
そして、現代社会で生き残っていく会社と言うのは、それぞれの分野で1番か2番。そのようなことを思うと3番の存在はおもしろい存在になってくる。競争社会は3番目と言う存在に対してとてもシビアな目とシビアな判断をくだす。この世の中の3番目は何によらず上へ行くか下へ行くかの分岐点のような気がする。
それを教えてくれた銅メダルに感謝。
(2008.8.18)


状況変化
天神祭りを過ぎたころからお客さんの注文に変化が出てきた。
7
22日に茶店のエアコンを変え、茶店が冷えるようになった。今まで茶店にクーラーはあったが、ほとんどきかず暑かった。いつエアコンをつけるかタイミングを待っていた。以前も述べたようにお宮さんの敷地では勝手なことはできない。
そのタイミングを待った。皆さんの賛同が必要。
そしてその了解を得、神様の了解が必要なのである。
冷えた場所では外がガンガンに暑くても、暖かいおうどんが売れる。
暑いところがいい人は茶店のお庭で、涼しいところがいい人は茶店の中で、やっとこさお客さんが好むところで座り、好きなメニューを選ぶことができる環境が整ってきた。ありがたい。
そして、日本人はこれが当たり前だと思っているけれど、暑いところで涼しい部屋に入り、暖かい食べ物を食べることは贅沢以外の何者でもない。時代とともに環境や価値観が変わるのは無理ないところだ。
今の平和で豊かな日本に感謝。
(2008.8.14)


難病
昨日、いろいろな難病にかかられている方たちのドキュメントが放映された。
正直いろいろ考えさせられた。
皆それぞれささやかな幸せを求めて生きているさまは深く心を揺り動かした。
普通の人ならそれぐらいのことと思うことが、彼らにとって大変大きな夢であり、大きな喜びである。
やはり幸せはその人自身の心の中にあることを確信した。
心が澄み渡っていれば幸せは、澄み渡った空に映る星のごとく数限りないものと確信した。
大切なのは自分自身の心のありようである。

以前にもひとり言で述べたが、行きつくところは同じである。
感謝。
(2008.8.7)


オリンピック
北京オリンピックが近づいて来た。
ニュースは選手の話題で賑々しい。

オリンピックに出場するために努力を重ね、日本での競争に打ち勝ち、世界での晴れ舞台でまた世界中のトップアスリートと競争する。その競争が4年に一度と一番になるのはとても大変である。言葉では言い尽くせない。
だがオリンピックが終われば、メダリストの名前は消えて行く。夏に鳴くせみのごとくその存在を一瞬アピールする。その一瞬のために数十年間努力する。まさに奇跡である。そして頂点を極めた勝者がその後の人生をどう過ごすか、それがまた見どころ。
オリンピックより華やかな舞台はあるのか?
勝者が引退しその後の人生を後進の指導とよく言われるが、あのすばらしい感動のあとでその感動を共有できるとは言うものの、指導者としての感動とはまた別物。人生の中で青春の感動は純粋な心の中から生まれる。オリンピック選手の喜びはそのような喜びではなかろうか。
今まで勝つ喜びを手にしたことのない私だが、オリンピックに出場するために努力している方たちを見ていると、そのような喜びではないのかとしみじみ思う。
私も純粋な喜びを感じたい。
感謝。
(2008.8.5)


水難事故
夏本番で海水浴や川遊びなどマリンスポーツを楽しむ人が多い。
そのせいか水難事故が後を絶たない。はっきり言って多すぎる。
理由は簡単、自然をなめるからである。
なめないまでも自然の偉大さに気がついていないから事故が多発するのである。
私も以前はそうであった。
ところが目を患ってからは、いかに人間がちっぽけな存在か、自然適応能力が低いか、思い知らされた。裸や道具なしでは生きて行けないし暮らせない。現代人は生活があまりに豊かで便利なことに気がついていない。理屈ではわかっていても実際何がなくても生きていけないことに気がついていない。人間が普通に自然に接することは無防備であることに気がつかないとダメである。自然に接するためにはそれなりの準備と心構えがなければやめたほうがいい。
ある人に聞いたが「水は神様」である。
その神様の中で遊ばしていただくのである。

尊いのである。
感謝。
(2008.8.4)