hitorigoto

20089

パソコン
先週、パソコンが壊れてしまった。
アッと思ったときにはもう遅い。
データを保存していない。後悔先に立たずである。
会社では、1週間パソコンのない生活。
データは無くなるし、アホである。
やっと新しいパソコンに変えてほっと一息。
だが無くなったデータはどうしようもない。反省。
これからこんな時にどうするか考えて行動しよう。
パソコンと携帯電話は、私の目であり白杖である。
パソコンは携帯電話同様、生活するうえで今や私の一番大切なもののひとつである。
パソコンと携帯電話に感謝。
(2008.9.29)


偽装 信ずれば救われる、信じすぎるとだまされる」
先日、コメの偽装が発覚。どうしようもない。
発展途上国で起きるような稚拙な事件。
農林水産省の監督が甘かったために起きたすごく単純な事件。
悪党がその甘さと隙をついた。
信じることの基本を教えてくれた。
「信じる」と言うことはどういうことか。
神を信じる、人を信じる、己を信じる、家族を信じる、身内を信じる、友達を信じる、仲間を信じる、能力を信じる、奇跡を信じるなど、信じると言う言葉はよく使われる。そして、私が「信じる」と言う言葉を聞くたびにいつも心に思うことがある。
それは、「信ずれば救われる、信じすぎるとだまされる」と言う言葉である。
私は信じると言うことは「甘えない」「依存しない」「当てにしない」と言うことだと思っている。一見正反対の言葉に聞こえるが、自分でできるすべての努力をした結果、そのあとのつなぎは目に見えない不思議な力「信じる」と言う言葉にリレーのバトンを渡し、結果を待つ姿勢が大切なのではなかろうか。自分が日ごろから努力もせず、普段の心がけを大切にしないと「信じる」と言う行為をうまく引きつけることはできないのではなかろうか。信じるという行為は普段の人間関係や行動の中で、自分の行為がありとあらゆるものから信頼されて初めて権利として得られるもの、天から授けていただけるもののように思える。
普段の心がけを大切にしたいものだ。
感謝。
(2008.9.12)


競技スポーツ
昨日、NHKで障害者のスポーツに関してのドキュメントがあった。
内容は、義足や車椅子など補助具の進歩で障害者スポーツの競技性が高くなり、健常者と同等レベルで競えるレベルに達し、イタリアなどでは車椅子バスケットでプロ選手まで登場しているとのことであった。そして義足などは逆に利用の仕方によっては、健常者が走るより有利になるのではないかとの指摘まであるそうだ。その方の努力はどうなる・・・。皆さん得手勝手だ。負けそうになるといちゃもんをつける。世界柔道もルール変更。強いものが出ると、嫉妬と、そのあらさがし。弱いものに対しては弱いものいじめ。人間のやらしさやずるさが見え隠れする。
もちろんそれはごく一部で、常識的な方が大半、できるだけ平等な社会を作るために障害者が健常者に追いついてきたときには、そのルールが改められて当たり前のことである。いろいろなことで文化文明の発展のおかげで、機会均等という概念が世界中の常識として定着しつつある。ありがたいことだ。
人類の努力に感謝。
(2008.9.4)


時のひと
9
1日夜、テレビを見ていると、いや、私にとって見るではなく聞いていると、いきなり画面が変わり福田総理の辞任会見。
サプライズである。
いきなり総理になり、わずか
1年でいきなり辞任である。肩透かし。おぬしやるではないか。これでは、野党が放りなげだと批判しても、ねらい定めて決めていた辞任。福田総理は涼しい顔。政権をとりたい民主小沢議員と、ふってわいた総理の地位をやりこなし何とか無事に済ませたい福田総理とでは、おのずと取り組み方が違って当たり前。ねらってつかんだ総理の地位ではない。
もちろん国会議員になった以上、総理大臣になる能力も意欲もあったのであろうが、はたして自分が望んだ時期に総理大臣になったのだろうか。たぶんそんなことはないと思う。なったとたんに引き際を考えていたに違いない。参議院では民主党が過半数を持っているのである。誰が見てもわかることである。どちらかと言えば運が悪かった。総理になるならこのタイミングしかないと思ったのであろう。自分の運命をわかって最大限の努力をされたに違いない。
もちろん目線は権力争いではなく、国民に合わせた中で最大限に自分を演じきった。私は投げ出したとは思わない。自分の実力を十分知った上での判断だと思いたい。できるだけあとの方がやりやすい形でバトンタッチしたかったのであろう。どちらかと言えばスマートで、国会議員と言う職業がふさわしくない方かもしれない。
それにしても国政を担う方たちは大変である。
国会議員になったとたんに自分を捨てないとやっていけない。
一方、民主小沢議員は今まで与党でいろいろな人を総理大臣に導き、政治家になるなら政権与党でなければ何もできず、野党では冷や飯食らいと思っているのであろう。そしてロマンチストであるがゆえに、彼も最後の力をふりしぼって、自分の達成したいことに何もかもかなぐり捨てて邁進しているのであろう。彼も自分の実力を知り勢力を拡大し、時をつかもうとしているのである。国民のためを思い、自分の一生を考え、押し迫る執念はどの国会議員よりすごい。それをよしとするかどうかは天が決めることである。
日経の連載での、敵を知り己を増し時をつかむと言う言葉が耳から離れない。
敵を知り己を増すと言うことは自分の努力でできるが、時をつかむには、運を超えた神の力を借りずにできるわけない。結果は
1年後には出ている。それを見せてもらって自分自身の生きる参考にさせていただきたい。
感謝。
(2008.9.2)


パラリンピック
9
6日から北京でパラリンピックが開催される。
NHKが選手たちの選手村への入村の様子を写す。
その際みやげ物店での選手の買い物の様子を放映。
オリンピックとはまったく違う和やかな様子。
まさに障害者の自己実現の場としての最高の舞台。
日の丸を背負って、日本の豊かさ、平和など国力の優れたところを宣伝している。
その中で、メダル争いとは一味違った生かされている喜びを最高に演じきれる選手を見つけたい。それこそが今回のゴールドメダリストである。

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追伸
パラリンピックはいろいろな基準でクラス分けするが、おのおの個人差があるハンディーを客観的な基準で分けることなどできるわけがない。また、パラリンピックは、選手の練習環境など、健常者などとは比較にならない国力の差が出てくる大会である。まさにハンディーを感じる大会である。
私は、パラリンピックはまさに平和の祭典であると思っている。平和で豊かな国で格差が少なく、福祉が充実し、ありとあらゆる意味でバランスがとれ、選手が努力した国が一番多くのメダルを取る。
オリンピックの選手のようにハングリーさで環境を克服できない。練習するための環境は健常者が整えてあげなければ障害者だけでは無理である。そう言う意味では、オリンピックとは比較にならないぐらい高い確率で日本はメダルラッシュとなるであろう。その時、日本のありがたさがわかっていただけるであろう。また、選手自身も他国の選手と交流し、自分たちが置かれている環境がすばらしいことに気がつくであろう。
感謝。
(2008.9.2)