hitorigoto

20109

ゲゲゲの女房
NHKの人気朝ドラ『ゲゲゲの女房』が終わった。
私は見ていないが、私の母が楽しみに見ていた。
私は小学生のころ『ゲゲゲの鬼太郎』を見ていたのでなつかしかった。
ただ水木しげるさん一家のことが、ドラマ以外でも色々な番組で取り上げられ、今回、水木しげるさんの生き様を見ていてあらためて感動した。もちろん以前から色々なことで取り上げられ、生き様は知っていたものの、色々な方たちをまきこんだ生き様は凄まじいものがあると感じた。ただ、それとは反比例したひょうひょうとした彼や、彼の奥さんを含めた家族の生活にびっくりした。苦労が泡になるのではなく、ダイヤモンドになったのだろう。
「ひょうひょう」に感謝。
(2010.9.26)


中国の驕り
日本の海域内の尖閣諸島で、無断操業していた中国の漁船を日本の海上保安庁の巡視船が拿捕。これが中国の逆鱗に触れた。副首相級が真夜中に日本の中国駐在大使を呼びつけた。異常である。
パフォーマンス? いやそうではないだろう・・・。
領土侵犯問題では、ロシアも中国も韓国も異常なまでに神経を尖らせる。
また、日本国内では米軍の沖縄駐屯の問題で日本の国内世論が高まる中、外交問題で政府は行き詰る。尖閣諸島の問題も次の日中摩擦の火種となりかねない。世界が狭くなる中、このような結論の出しにくい問題を起こせば、益々、海外在住日本人が危険にさらされる。
平和を願う祈りが天に届いてほしいが、祈りや宗教ほど始末の悪いものはない。命知らず。宗教戦争は一番危険な戦争。考え方が違うものはどこまで行っても平行線。平和平和と誰もが唱えるが、まずは自分、自国の都合。また自分が信じる宗教。また自分が育ち生活している環境、文化。当たり前のことであるがこれらはどうしようもない。

ただ国力が増し、発言力が増し、怖いものがなくなったとき、崩壊の危機に直面する。驕りは、すべてのものを失う人間が持つ最悪の感情。最近の中国の勢いはすばらしいものがあるが、文化や宗教環境の違いをよく認識し、お互いの存在を認め合った上で交わらないと大変なことになる。驕りは国を滅ぼす。暴落は頂点から始まる。どちらの主張が正しいかは別に、驕ったものの負けである。
人間は地球上で一番弱い生きものであるがゆえに生き残った。それを忘れつつある。
弱い日本、大いに結構。負けるが勝ち。
素直に謙虚に喜んで暮らしたいものだ。
弱い日本に感謝。
(2010.9.21)


菅総理大臣
シナリオ通りに菅氏が総理大臣に任命された。
菅氏は変わり身のはやさが生命線。二世総理とは大違い。したたかさで勝負する。
支持率71パーセントは最初の就任時を上回る。雇用雇用と絶叫していたが、需要を生む算段はしているのだろうか・・・。
国家権力は、最高の権力。それに国民が賛同すれば鬼に金棒。世論の支持をバックにどこまで頑張れるか見ものだ。
平和な日本に感謝。
(2010.9.18)


行き止まり、つきを見方に通り抜け
毎日生活していると、工夫しても工夫しても努力しても努力しても、解決しないことにぶち当たります。そうして自分の願望を一つ一つ捨てて行き、しまいには何をやるのもいやになってしまい、投げやりになり、自分の中にこもってしまいます。思い通りに行かないことで絶望感で一杯になります。
そこでどう対処するか・・・。
一般にはあきらめる。投げ出してしまう。それもいいでしょう。
ですが考えてみてください。
人生は長いようで短い。短いようで長い。そして生きている間、何が起きるかわかりません。ようは人生と言う人間の一生は誰にもわけがわかりません。地球が存在し人類が生きていける環境が存在する限り、人はただ生と死を繰り返すだけのことです。その中に、愛と喜びを見出せるかどうかが、高等動物としての人類であるわれわれの唯一のものなのです。そんなわけがわからない人生と言うものに絶望する必要はないのです。絶望感や、不安はすべて神様に預けて通り抜けしましょう。
失敗も成功も神様にとっては関係なく、自分が失敗や不可能などと思っている人生の行き止まりは、宇宙や神様にとってはそうではないのです。人生の行き止まりと思っているのは、自分自身の狭い心で行き止まりではないのです。一寸先は闇の人生、行き止まりと錯覚している行き止まりで悩むことなく、無形の存在である神、無形の力であるつきに味方してもらって、失敗や成功を超越し、通り抜けしましょう。
感謝。
(2010.9.3)


菅対小沢()
昨日91日、民主党の党首の立候補者の受付があった。
そして菅氏と小沢氏の記者会見があった。
その中で政治と金についての質問がマスコミから出されたが、正直、菅氏の回答は小沢氏に対する敵対心そのものであった。みっともなかった。政治と金の問題は大問題である。しかし同じ党内で相手を批難する材料にするのは最低である。同志だからである。そんな会話はみんなの見えないところでやるべきである。公共の面前で同志を皮肉ることは、天に唾を吐くようなもので自分に返ってくる。二人とも民主党員であることを忘れてはならない。議論は自分の政策だけでいい。
小沢氏と言えば、政治と金と言うイメージしか今の国民にはない。それをあえて論ずれば民主党のイメージダウンにしかつながらない。菅氏の発言は総理大臣になることに一生懸命の発言としかとらえられなかった。その一方で小沢氏は今が天の時ではないと知りつつ、立候補したとしか思えなかった。今の小沢氏は国民に悪いイメージしかない。それにあえて立候補したのだから今までのさめた小沢氏では考えられない。これが本当に最後の舞台になるのかも。妖怪小沢本領発揮となるのか。
私は「敵を知り己をまし時をつかむ。」と行きたいものだ。
感謝。
(2010.9.2)