hitorigoto

201010

右手
先日、ある会合のあとの飲み会で体のことを話しているとき、私はその場の数人に右手が少し不自由なことを話した。誰もそのことに気づかないようで、私のことをよく知っているIさんがその場にいた数人に「みっちゃん両手広げて皆に見せてみ」と言った。私はわけもわからず手のひらを広げた。皆は納得いったみたいで、その話はそれで終わった。
翌日の夕飯のとき母に聞いた。
昨日のことが気になって両手を広げながら「右手と左手の形違うの・・・」
母は少し間を置いて言った。
「違う・・・。道信が気にするから言わなかったけど・・・。なんだったら左手で右手をもんでみたら・・・。少しはマシになるかも・・・」

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年間右手の形など少しも気に留めたことなかった。気もつかなかった。どうも右手が硬直していたみたいだった。
それから12時間左手で右手を全体的に揉み解した。するとほんの少し右手が楽になった。首が痛くなり左目が少し充血した。そしてほんの少し右手の形が変わった。これはいける。
その晩から必死で右手の指、手のひら、手首と毎日数時間、時間の許す限りもんだ。手は見る見る間に小さくなり、形が変わっていった。見えない私でも感触でわかった。緊張がとれ、手がとても楽になってきた。また首が細くなり、右肩が下がったと母が喜んでくれた。右手の麻痺を少しでも治そうと普段から右手をもむ習慣は多少あったが、これまで必死になってもんだことはなかった。麻痺などどうせ消えることないとあきらめていた。
だが、あんまの先生にもいって右手に電気をあててもらい、もみ方のコツを聞きやってみた。ひょっとしたら奇跡を見せてもらえるかも・・・。数週間、余分なことは考えずそれに集中した。

何気ない会話の中からヒントをいただいた。
Iさんに感謝。
(2010.10.24)


100歳の画家
今朝NHKで、ある100歳の画家の短いドキュメントがあった。
その画家は戦時中ミャンマーで、あるおばあさんに大変世話になったそうだ。戦争で死なずに済んだのもそのおばあさんのおかげ、ミャンマーの方たちのおかげだったそうだ。
そしておばあさんに、戦争が終わって落ち着いたら必ず来ると言って日本に帰国したみたいだ。その後国鉄に入社。退職後
65歳のときに絵を描き始めたらしい。73歳のとき、ミャンマーに40年ぶりに行ったらしいが、おばあさんはすでに亡くなっていた。だが彼女の娘さんが、彼が必ず来るから来たとき渡してほしいと、あるものを預けて亡くなったらしい。
人の思いは時や空間を超越し伝わる。すごいものである。
人間として生かされていることに感謝。

*追伸

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歳になっても背広を着こなし、背筋を伸ばし、毅然とし、インタビューに答える。すばらしい。
(2010.10.17)


中国のピンチ
尖閣諸島での中国漁船拿捕以来、先進国との為替問題、民主化運動で服役中の中国人作家のノーベル平和賞受賞と、色々な外交問題が発生しつつある中国。
日本の10倍以上の人口を抱える国が目覚しい経済発展をとげ、民主化が進むにつれ、共産党一党支配の体制で問題が発生しないわけない。宇宙で大きな星であればあるほどその大きさゆえに、自分で支えきれず分裂が起きやすい。
同じように、大国中国は外部からではなく、内部からその姿を変えていくことになるだろう。その時不幸にも国内で暴動が起き、同じ民族間の争いで犠牲者が出ないことを望みたい。
最近の世界情勢から先進国は政治的なメッセージは出せども、犠牲者が大量に出る実力行使をしてまで内政干渉など決してするはずないと思う。
平和で穏やかな日本国に感謝。
(2010.11)


秋風
やっと暑さが和らぎ、過ごしやすい季節になった。
夏の暇と言う服を着たすべらんうどん屋も、秋風とともにやっと衣替えをする。
そして私は、受験の季節が近づき、にぎわいがもどって来る日が待ち遠しい。
3ヶ月ほど休んでいるカンバンの私の母の体調ももどりつつあり、近いうちに店に立てそうだ。
身も心も癒してくれる秋風に感謝。
(2010.10.3)