hitorigoto

20114

ゴールデンウイーク
429日からゴールデンウイーク入り。すべらんうどん屋は例年だと暇になる。
ところが今年は違う。423日に「アンビリバボー」の再放送があったそうで、また少し忙しくなった。うれしいことである。
私は今度はどんな仕掛けをしようか、頭の中をグルグルこの3ヶ月ほど考えている。人様より劣るのであるからその分面白いことをしないとダメである。
次の一手。
皆が喜んでくださり世の中に広まる面白いことをやってみたい。今度はすべらんうどんとは違い、形がなく誰もがすぐに親しめるものにしたい。今はまだわからないが、考えがまとまってきたので近いうちに神様にさずけていただけるだろう。とりあえず頭の中もゴールデンウイーク、一休み・一休み。
感謝。
(2011.4.30)


体質
母があまり病院に行こうとしないので、母の足腰をなおそうと私は昨年秋から健康食品(サプリメント)にこりだした。ただ、母はサプリメントも嫌いみたいなので、まず私自身で試して、よければ母に使ってもらうようにした。おかげさんで色々なサプリメントを飲むはめになってしまった。
ところが、ここ数週間前から私自身の体質が明らかに変わってくるのがわかるようになってきた。ありがたい。私自身体質改善に腰が入りだした。特に
10歳ぐらいから40年以上悩んでいる口臭とふけ症なのが改善、びっくり。内臓や口臭を改善しようと思って飲んだサプリメントのおかげで思わぬオマケ。そのほかにも肝臓や腎臓が弱いので飲んだサプリメントのおかげで体調が安定。腫れていた足がしまった。これにはびっくり。サプリメントも使いようで効く。自分にあったサプリメントを適量適度に飲むことはいいと思った。
今度は目に効くと言うサプリメントを飲んでみることにした。体調が安定してきたのでこれも効くかも・・・。あてにせず飲んでみよう。

思わぬラッキーに感謝。
(2011.4.29)


114歳
先日、京都の男性で世界一の長寿の方が誕生。114歳だそうだ。
誕生日に赤飯と焼き鯛を食べられ、お祝いしたそうだ。
東日本大震災のことはご存じなかったそうだが、むかし大地震にあわれたみたいで、地震は恐ろしいが自然のいとなみなので仕方ないとおっしゃっておられた。自分が男性で世界一の長寿になったことに対しては、神様のおぼしめしと答えられた。
114
歳の自然体に感謝。
(2011.4.22)


日本電産
先日、日経のコラムに日本電産の永守社長の記事が載っていた。
その中で「政府と東電は想定外の巨大地震でどうしようもなかったと言っているが、我々の会社でそんなことを言っていたら倒産ですわ」とコメントしてあった。
さすが強気一辺倒。この方には死と言うものが訪れないのではないかと思った。もしくは普段の生活がたえず死と背中合わせと言うぎりぎりの選択をされている方か・・・。
いずれにせよ、すごい人であろう。この方がもし若いころに目が不自由になられたら、どんな生きかたをされていただろうか一度お尋ねしたいものだ。私も強気一辺倒の人生をおくってみたい。
だけど、今の平々凡々の生活にも感謝。
(2011.4.19)


節電
東日本大震災以降、福島原発の事故の影響もあり、節電が盛んに叫ばれている。
また福島原発の事故で盛んにクリーンエネルギーのことが叫ばれる。また防災対策のことが政治の論点。

私はこれらの問題に疑問を感じる。起きてからではおそいのである。
亡くなった父は私が小学生のころ、台風が起きるたびに夜中でも役所に仕事にもどった。父は、また、普段から使わない電気は消しまくっていた。そのせいか無駄は敵と教えられた。もっとも今は目が不自由なため電気をつけることを忘れ、電気をつけず行動していることが多い。

話はそれたが、極端な節電ではなく、無駄なものは省く。
防災にしても出来る範囲の防災訓練や防災設備をする。
正直なところマグニチュード
9.0と言う巨大地震に完璧に対応するのは難しい。おそらくそれに対応する建築物やインフラ設備などを構築できたとしても、逆にそれが普段の生活の弊害になる可能性大である。たぶん安心して、自然をなめることにつながる。結局のところ、ほどほどの安全、ほどほどの幸せをつかむことが、大きな安全、大きな幸せにつながる気がしてならない。
実際広島や長崎の原爆を肝に命じておれば、火力発電では高コストであるとか、原子力発電は経済的だとか言って人類の欲望を満たすために突き進まないのである。
今の幸せに感謝。

*追伸

今度は原子力発電が大きな危険を伴うものだと言って他のエネルギーを追求しすぎ、他の想定外の危険を新たに生み出すことを忘れてはならない。また節電が大切だと言って節電しすぎて、想定外の大問題が起きる可能性大である。節電もほどほどに。
ほどほどの幸せに感謝。
(2011.4.17)


余震
4
7日、宮城県沖でマグニチュード7.4の余震。
せっかくやっと落ち着きかけた生活にまた恐怖。自然は非情だ。
東日本大震災の被災者の方たちはなかなか普通の生活にもどれない。
ただ、目が不自由になって困難に直面したとき、思うことがある。
大きな出来事のあと、もう以前にはもどれないと言うことだ。変化するしかないのである。目が見えたらできるのにと言う仮説は成り立たない。見えないことを前提に生活しないと毎日悔やんで生活することになる。だが、見えるようになると言う目標やゴールがないと希望のない日々をおくることになる。しなやかな心を持ち、もう起きたことは受けいれ、希望を持ち、現実の生活を楽しみたいものだ。

今この世に生かされていることに感謝。

*追伸

また昨日も網膜再生の新たなニュースが入ってきた。
目の不自由な人のためにと研究者たちの努力の賜物。
見える日は近い。明日を信じて生きて行きたい。
感謝。
(2011.4.8)


病い
昨日は名古屋から緑内障の視覚障害者の男性、本日は埼玉県からベーチェット病の高校生がお母さんとお参りに来られ、すべらんうどん屋に立ち寄ってくださった。名古屋の方とはお会いできなかった。埼玉の方とはたまたま白米さんのお祭りで、私が天神さんに寄せてもらっていたのでお会いできた。それ以外にもたくさんの地方からの方が来てくださる。色々な思いを秘めて。どれほどお礼を言えばいいかわからない。
ただ、重い病気に悩む人たちのエネルギーにはおどろく。私ならそういうことはできない。遠路はるばる来られるエネルギーで病いは逃げていくだろう。
高校生のベーチェット病の彼女には、ボーイフレンドつくってお母さんを心配させやと言ってあげた。それぐらいすれば両親ともに家族すべてが病気のことも忘れるであろう。頭の中から「病」と言う概念がなくなれば、彼女の将来も明るいものになるだろう。
一目の出会いに感謝。

*追伸

聞くところによると、名古屋の男性は片目はもうすでに見えず、鍼灸の試験を受けるみたいで来られたときは重々しかったが、私がいいかげんな不良障害者であることを叔母から聞き、気を取り直して帰ってくださったみたいでよかった。
(2011.4.1)


さくら
昨日ニュースを聞いていると、被災地でさくらがちらほら。
津波の被害にあいながら倒れなかったさくらに花が咲きかけた。悲しいことがあっても時が来れば花が咲く。時は神様。すべてを飲み込み洗い流してくださる。被災された方たちの心や肉体の傷はまだまだ癒えないが、時という神様の化身がすべてを解決してくださるまで待ちたい。
時の包容力に感謝。
(2011.4.1)