hitorigoto

20152

さわやか
221日、神戸しあわせの村で、「すべらんうどん」のことについて話をさせていただく機会をいただいた。うどんのことより「なぜ、うどんを作ることになったのか」のいきさつを丁寧に話させていただいた。
話をさせていただくごくわずかな時間の間に、過去
35年の時間がよみがえった。
発病から障碍者手帳をいただくまでの15年、うどんをやろうと思うまでの56年、うどんと関わりだした15年、皆さんの様子を感じる余裕もなく一気に話し、自分の今の思いまで話した。
聞いてくださる皆さんにとっては面白いものではなかったとは思うが、私にとってはこれからの自分の進むべき道が見えてくる時間であった。特に二月に入って今の勤め先でやろうと思っていたことがすべて終わり、三月、四月以降どうするのか気持の整理をする必要があったからだ。おかげさまで生まれてからこれまでで一番「さわやか」な気持が私の身を包んだ。
母は、私の生まれながらの性格を見抜いていた。
40年私の様子を見ていたのだ。16歳の時にはダメと言われた私の見た夢。そして母が56歳になった息子の背中を押してくれた「今だからいい、今がチャンス、はやくてもダメ。遅くてもダメ。自分のやろうとしていることを思い切ってやりなさい。ただし、おぼれたらだめ、おごったらダメ」。初めて自分の意思で舵を切る言い訳ができない人生の再スタート。
そんな中
221日、甲子園球場50個分の敷地を目の前に自分のちっぽけさを感じた。自然は大きい。過去との決別を促してくれた「しあわせの村」の広大な敷地に感謝。感謝。感謝。
私などちっぽけ、私の夢などちっぽけ・・・。
自分を消しても捨ててもしれている。
思い切ってやろう。思い切って生きてみよう。
感謝。

(2015.2.22)


視界
勤め先のベテランの事務員さんが退職してから二週間が過ぎた。
去年の6月以降、確認したうえで自分のこれからのことをスタートさせようと思っていた3つのことが、昨年11月末にひとつ、今年1月半ばにひとつ、最後に1月末にひとつ、それが事務員さんの円満退社で、これですべて終えた。そして二週間が過ぎた。
ここ20年不思議にも、いや若いころから、このころからやるのだとわかっていたのかもしれない。もやもやしていたものがすべて消え、視界が広がり、やっとやれるすべての環境が整った。ラストチャンス100歳になるまでには達成したい。幼き頃からの目標に向かってゼロからスタートしたい。
やりたいと思った時に、やりたいことができることに感謝。
(2015.2.15)


2月
毎年の話だが、今年もあっという間に1月が過ぎた。
だが今年の1月の過ぎ方は例年と違う気がする。訳が分からない間に過ぎたが、充実していたように思う。今まで種をまいていたことがあちらこちらで目が出て、やることが多くなってきたような気がする。
どういう結果になるかわからないが、「岡 道信のひとりごと」で、楽しくおかしく書ける日ができたらいいなあと思う。

無我夢中で、やることがあることに感謝。
(2015.2.8)


退職の別れ 
1
31日に、勤め先で経理のベテランの事務員さんが退職された。
退職のその日、私の見えない眼は涙であふれた。今まで誰が退職しても悲しみはなかったが、今回は違った。
78
歳の彼女は、私の母より一歳下まさに会社内での母であった。辞めたいと言ってから15年引っ張った。彼女が52歳の時、私が面接し決めたその人は、私の目になり金庫番になった。会社が倒産しなかったのは彼女のおかげと言っても間違いない。社内外の誰もそんなことは知らなかった。社長も知らなかったと思う。
理由は簡単、私が細かいことを社長に報告しなかったと言うより、社長が理解しようとしなかった。時には職場の人に嫌われるクールな態度。社長は彼女のありがたさをわかっていても、素直な気持で受け入れられなかったのかも。ここ数年、困難を乗り越えるとき、困難を乗り越えたのち、社長は彼女の存在の大きさに気がついたと思う。
だがもう会社は大資本の傘下に入り、やっと彼女は役目を終え解放された。遅すぎる彼女の老後の幸せを祈りたい。
会社の母、ベテラン経理事務員さんに感謝。
ただただ、ありがとう。

*追伸

みっちゃんいくつになったと、辞めるその日に彼女は私に聞いた。56歳・・・。26年の月日が一瞬の間によみがえった。ただただ、ありがとう。感謝。
(2015.2.1)