hitorigoto

20202

覚悟
2月も終わり、いよいよ3月。
世界中、コロナウイルスで大変。
日本ではとうとう安倍首相が、32日以降春休みまで小中高校のすべてを休校にするよう、国民に向けて依頼した。また3月から2週間程度、多くの人が集まる集会、会合イベントなどを中止・延期するよう依頼した。異常事態である。
私はこの
1か月半、夜9時前後に眠りにつき、夜中1時前後に目が覚め、朝まで起きているという半分夜と昼がさかさまになった状態。それも異常事態。いつになれば改善できるのか…。
だが、深夜ラジオを聞いていると対談などでタメになる話がよくある。
そして最近気がついたことがある。
私が迷走しているのは、自分が本当にやろうとしていることにまだまだ覚悟がないのではないのか…。もしくは集中できていないのではないのか。だから母のことを思い出し、母にどうしたらいいのか聞いているのではないのか…。まだ亡くなった母に甘え頼っているのではないのか。自分で自分のことが決められないのではないのか…。まだ迷っているのではないのか。人の目が気になり、本当の自分に向き合っていないのではないのか…。などなど、なんとなく自分のふがいなさに気がついた。
また、思い通りに行かないこと、いや、たとえ思い通りに行っていることでさえ、私は、もっともっと、いやまだまだと思い、自分を追い詰めているのではないのか…。覚悟が決まればそれらの問題など一切気にならず、一つに集中できるはずだ。「覚悟」がまだないのだ。まだ足りないのだ。目の病気が発病した40年前の21歳か22歳に、これからの人生はオマケと母と一緒に決めたはず。その覚悟を持っていれば迷走するはずはない。
オマケの人生に感謝。

*
追伸
そして私は今、オマケの人生のほうが長くなってしまった。最近は欲どおしく200歳まで生きたいと思う。だが、覚悟と目的と目標がないとつまらないものになる。
(2020.2.29)



コロナ
昨年末から中国で発生した新型ウイルスコロナ。
感染者が続出、死者も続出で大変である。日本にも上陸、感染者が全国に広がりつつある。そして、ありとあらゆるものに悪影響を与え大変である。私はこの1か月母の死で気持ちがふさいでいるが、中国では2000人以上の死者。
人間の命とは何なんだろう。どれほどの重みがあるのだろう。
私は母の死以降「死」と言うことをよく考えるようになった。以前は死ぬことイコール不吉と考えていた。だから目をそむけた。だが、すべての人は生まれてきたら必ず死ぬ。形になればその形は消えてなくなる。だが母は私の心の中に生きている。私がなくなれば消える。私も消える。不思議だ。
生と死の境目は何なのだろうか。呼吸をしているかいないか、活動しているかいないか、形があるかないか。それだけなのか。時がたてば、形は何ひとつ残らず消えてしまう。だが生きている限り、理想の形を追い求めて生きていかないと楽しくない。私は最後の一瞬まで楽しむために理想を追い続けたい。また限界を押し上げたい。
この世に人間として生まれてきたことに感謝。
この世に人間として生かされていることに感謝。
(2020.2.23)



なぜ
母が亡くなって1か月足らず。
私は寂しさや後悔の念で毎日過ごしている。
なぜ、さびしいのだろう…。なぜ、後悔しているのだろう。なぜだろう。
なぜと言う言葉が頭中を埋め尽くす。だが答えはない。

自分の中では別にマイナス思考になっているわけでもない。明日に対する希望がないのではない。やりたいことはいっぱいある。だから一日中母のことで後悔しているわけではない。やり直しや、もう一度と言うことができないので苦しいだけである。
実際ふだんの生活の中でもやり直しがきかないことはいくらでもある。だがそんな時、心の中でどう処理し、次につなげているのか。次はこのようにはしない、もっと考えてやる。もしくはこうフォローし改善すると言うふうに次につなげる。
だが、母のことはどうだろう…。この世ではどうにもならない。母に対して父に対してご先祖さんに対して、あの世に行ったときにこうしよう…。次生まれ変わったらこうしようと言うしかない。そうして次につなげるしかない。精神世界に目を向け、あの世とこの世を自由自在に行き来できる能力を身に着けたい。
思考の変化に感謝。
(2020.2.15)



揺れる
母が亡くなってから、心が揺れっぱなし。
何とか気持ちを違う方に持っていこうとするが、
知らぬ間に母に気持ちが行ってしまう。
やらなければならないことが山ほどあるのに…。
気持ちは揺れるばかり。
生きている間は形があるが、死んでしまえば形がない。
私は形がないものを追いかけている。
届くはずもないが、離れるはずもない。
大好きな母との思い出に感謝。
(2020.2.8)



家族
母が亡くなってから、もう2週間を過ぎようとしている。
私の心は宙に浮いたままで、おさまりどころを知らない。
これからどうしよう…これからどうなっていくのだろう…など、色々なことが頭の中をよぎる。
私の周りには障がい者も含めて色々な事情で一人暮らしをしている人は多い。その中には両親も亡くなって一人と言う人もいる。だが私ほどのマザコンはいない。私は生まれて今まですべてのことを両親に頼って生きてきた。目が不自由になる以前からである。生まれながらにもともと思考回路がそうなっているからである。一人っ子の甘えたサンである。
そんな自分が、この世で社会の荒波の中で家族なしに生きていけるわけがない。さてどうするか。しばらく自分と向き合って流されるままに生活していき、そのうち吹く風を頼りにヨットのごとく自分の進むべき方向を目指したい。今はただこの世に漂うばかり…。
両親の愛に感謝。家族の愛に感謝。

*追伸

今は、家族のいなくなった私を身内や周りの人たちが入れ代わり立ち代わり助けてくれている。ありがたいことである。だが、さびしい。なぜだろう…。
(2020.2.1)