hitorigoto

20204

どこまで行ってもまだコロナ
4月も終わりに近づいた。
テレビをつければコロナ。ラジオをつけてもコロナ。
人との話題もコロナ。どこまで行ってもコロナ。

何をどうやっても解決しない。
どれもこれも解決策はお茶を濁す程度の話。ただただ終息を待つだけ。もちろん、すべての人がコロナを決着さすため、ありとあらゆる努力をしている。だが、その域を超えている。決め手は薬とワクチン。そこは間違いない。それでコロナとの戦いは終わる。
だが、社会の秩序はそれで元にもどるのだろうか。
もどらない。本当の終わりはそうではない。新たな秩序が生まれる。神はほかの方法をもってコロナとの戦いを終息させる。それは何だろう…。「どこまで行ってもコロナ」からの進化を期待したい。
神の見えない力に感謝。
(2020.4.25)



刻々
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月も半ばを過ぎたが、世間では相変わらず新型コロナウイルス騒ぎ。
そして日本では、ついに緊急事態宣言が全国になされた。
刻々と状況が変わる。世界はどこへ行くのか…。

私は、今度の新型コロナウイルスの騒ぎが終わっても、また世界を騒がす新たな問題が起きると思う。人口爆発がおさまらない限り、地球では人類を襲う問題が次から次へと起きるだろう。狭くなった地球から宇宙に人類の居場所を作らない限り、平穏な地球を取り戻すことはできないだろう。人口爆発がおさまらない限り、宇宙に目を向けないと仕方がない。
人類の住まいである地球に感謝。
(2020.4.18)



ピンチはチャンス
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月に入り、新型コロナが猛威を振るい、ついに日本も緊急事態宣言が首都圏並びに大阪、兵庫、福岡でされた。また他の地域でも近々発令されるだろう。周りでは不安と緊張が高まる。当然私も含めた身の回りも同じである。みなそれぞれの立場立場で不安だと思う。
私はどうなのだろう。もうひとりの本当の自分に問いかけてみる。
本当の自分の心は不思議である。もう一人の本当の自分は、意外にもこれからどうするかと言うことで頭の中はグルグル回転するが、さほど心配で眠ることができないと言うことはない。
なぜだろう。問いかけてみると答えは簡単だった。
今年118日に母が亡くなってから眠れない日が続いた。そして3週間ほど前から昼と夜がさかさまの生活になった。午後7時から5時間程度眠り、午前1時前後に目が覚めるという生活。母がいない寂しさと悲しさで何も先のことが考えられない。そんな中の新型ウイルスによる世界中への感染である。
私の支えだった母や父・家族がいない今の生活。私の人生は今年の118日で終わったのである。そのことを思うと、まだこの世に存在させてもらっている以上、今やらなければならないことはただひとつ、会社の健全な経営、従業員さんたちの生活をまもることである。答えは単純で明確なのである。
そして、ピンチはチャンス。
最大のピンチで最高のチャンスをつかみ、最高に幸せを感じることである。と言うより、周りの人が最高に幸せを感じてもらえるようになることである。
最大のピンチに感謝。

*追伸
母が亡くなって以降、正直なところ何をやっても楽しくない、面白くない。
だが、母とやりかけたすべらんうどんが、だし巻きたまごやサンドイッチ、鯖寿司のお店と広がる中、新型コロナで今ピンチである。せめてこのピンチを乗り越え、スタッフ(従業員さん)の生活をまもり、社会に貢献できるようになるまでは見届けたい。家族がいない寂しさはあるが、この会社が後に続くものになるまで私のマザコンはしばらく内におさめたい。
(2020.4.11)